思うこと①

”ダメ人間”


”ダメ人間”…いつからだろうか、ボクの周りでも頻繁に用いられるようになったのは。



女性がそれを口にするのは聴いたことがないが男は、少なくとも一部の人たちは、よく口にする。ボクが初めて耳にしたのはおそらく高校の部活の先輩が初めてだったと思うが、そもそも”ダメ人間”とはどういう意味で、またどうして用いられるのだろうか。ここで注意したいのはこの言葉は意味よりも用いられる理由の方が重要であるということだ。つまり意味はその用いられ方によって規定されるのであり、まず意味ありきではない。これは多くの言葉に当てはまることだが、特に”ダメ”とは話者によってその程度が全く異なるからである。



ではいったいどうして用いられるのであろうか、その背景について考えてみたい。私はそれは二重の理由(効果)を含むと考える。一つには、文字どおり自らを”ダメ人間”呼ばわりすることで内に抱えていた負い目、後ろめたさといったものを軽減する効果。もう一つにはそれを相手に発することで、一時的にせよ、自分の位置を相対的に低くし、他者との円滑なコミュニケーションをとりやすくする効果。



特に後者についてはまだ考察の余地がある。それは仮にも自分の位置を低くすることで相手の出方を伺うことができるからだ。相手はその位置を変えることなく、愛を持って「お前ダメだなー」と返してくれるかもしれないし、位置を自分も、その実際上の位置はともかく、低く合わせることで共感をもたらすこともあるかもしれない。もちろんある出方が最も優れているなんていうことはなく、出方に対する感じ方は人それぞれだが、何はともあれそれはお互いの人間性、というか相性のようなものを探る一つの手がかりとなっているのではないだろうか。



例えばあなたが学校の課題をやってこなくて自分のことを”ダメ人間”だとあえて相手に伝える時、それはすなわち「自分はろくすっぽ課題もやってこない人間ですが、あなたはそういうことに対してはどういう人間ですか」と問い掛けているようなものである。個人的な経験では人間性を確かめ合う上で様々な指標(真面目さ、積極さ、明るさ・・)があるが、自分と多くの指標において近しい人間ほど仲が深くなる傾向にある気がする。「類は友を呼ぶ」所以である。これは考えてみれば当たり前のことで、自分と似たような人間と付き合うときが最も素の自分でいられるから自然と似たような人間が集まってくるのである。