自ら計らわぬ

kawasemi7632005-07-10

別に何かをしていたわけではないんだけど考え事をしてたら夜が明けてしまった。
体は平気なんだけど目がつらい。

広田弘毅のように「自ら計らわぬ」*1生き方がいいのか、積極的に動いて生きるべきなのか、について。

高校の時、ある先生が「黙っているのが美徳である時代は終わった。これからは積極的に発言していくべきだ。」とおっしゃった。それを端にして今に至るまでこのことは自分の中では重要な問題であった。


いまだにその先生の言葉を素直に受け止めきれない自分がいる。別に黙っているのが美徳だと思っているわけではないけれど、やたら発言し続けるくらいなら黙っていて、鶴の一声のようにばしっと一度発言するくらいの方がいいのではないだろうかとも思うのだ。


この問題は実は前に触れた英語のコミュニケーションの問題にも関係してくる。僕が受けている英語の授業(コミュニケーション)は発言すればボーナス点がもらえる仕組みになっている。この制度のせいか、一部の人だけがやたら発言して多くの人は黙ってしまうという現象が起きている。出る杭を打つのは良くないことではあるが、これが自分にとってはどうも馴染みにくいものなのだ。


愚痴の羅列で結局何がいいたいのかわからないけど、どっちがいいとかじゃなくてその両者の微妙なライン上を生きていくしかないのかな。


「そんな考えてもしょうがないことを」と言ってくる人がいるかもしれないけど「じゃあ意味のあることって?」ときりかえしたい。若いうちはどんなささいなことでも満足いくまで悩むべきだと思う。たとえそれが普段の生活に結びついていなくても生きていくうえで何処かで実を結ぶかもしれないじゃないか、と言いたい。
ばしばし割り切って生きていくのは自分にはとてもできそうにない。




なんか文に説教臭が漂っているし、眠いし、思考回路もショート寸前です。
朝方に文章は書くもんじゃないな。

*1:城山三郎 『落日燃ゆ』(新潮文庫)より。広田弘毅は戦前の首相、外相。A級戦犯の中で唯一の文官であった。