ママはぽよぽよザウルスがお好き

日本における英語教育はどうあるべきかという議論が一部で熱い。
英語の授業を取り入れる小学校が出てくる一方、来年度のセンター入試英語ではリスニングが導入されたりと最近の英語教育の変化は今までになかったものだ。
良くも悪くも時代の流れ、とばっさり言い捨てるのは簡単なことであり少しは時流に抗ってみたい
僕は英語教育のコミュニケーション重視の今の流れには反対だ。


単純に僕が苦手だからである。


(苦手なのは確か。去年半年間、代ゼミでリスニングの授業を受けていたのに常に周りよりできなかった記憶があるし、大学の英語のクラス分けでもリスニングに関してはあと少しで一番下のクラスになるところだった・・全然笑えない)


そもそも、ありきたりの理由ではあるが、本当に従来より英語でのコミュニケーションが必要な世の中になっているのか?少なくとも僕の周りではそうなっていないのだが。(視野狭っ)


学校の勉強というのはもちろんそれ自体将来役に立つから学ぶという側面もあるが、それ以上に情報処理能力を磨くために勉強しているという部分が大きい。つまりインプット、アウトプットの練習である。特に数学英語にそれが色濃く出ていると思う。数学は非常に技術的だし英語も語学という仮面は装えど文法、読解を中心とした従来の英語教育においては技術的な、ツールのようなものだ。


これはこれで悪いことではないと思う。実際、さっきも言ったけど本当に英語を必要とする日本人なんて全体の数パーセントしかいないと思う。そんな状況下においてわざわざコミュニケーション重視の方針に変える必要はない。今までのように読解という枠を通してひたすら(人間にとって必要な)論理力を磨いていけばいい。寺子屋でせっせとそろばんをパチパチさせればよい。本当に英語そのものが必要なら英会話スクールに通うなり(まあ全く意味のないことだと思っている一人だが)、留学するなり、独学すればいい。もちはもち屋がつけばいい。


自分の思っていることを実際文章にするのは本当に難しい。どんなに文章を長く書いても相手にどれだけのことが伝わっているのか全然つかめない。上の文章も何かひっかかりを残す不完全燃焼の文だ。そういう意味においてレトリック論について述べた故佐藤信夫氏の文章を(現代文で)読んだときには一種の感動すら覚えた記憶がある。




「こんな英語教育のせいで俺は英語が嫌いになったんだ!」とお怒りの方はこちらへドゾー。
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