NHKスペシャル「戦後60年・靖国問題を考える」―大学生へ


テレビつけたらたまたまやってたから討論の部分だけ見た。討論は非常に難しいということがわかった。靖国問題を考えるにはおおざっぱに言っても文化的、宗教的、政治的視点なくしては語れない。また時間の問題もあるし、また討論そのものの難しさもある。
そのため4人の有識者の争点はあっちこっちに動き、靖国問題を十分には語りきれていないのは明らかだった。

人は何か意見を言う時、その意見の程度に比例して莫大な知識、思索が必要になる。常日頃そうしたことを生業とした有識者ですらあのような討論になってしまうのだから、僕のような一般市民が討論したらとても目をあてられないものになりそうだし、それを文章化するとしたらホントに中身のないものになってしまう気がする。(それでも討論の必要性は変わらないし、積極的に意見は交わすべきだとは思っているけど。)


ああいった討論の役割は言ってみれば出演者の知名度をあげるためとその問題を取り上げることで国内の議論を活発化させることに尽きると思う。本当にその問題を高度に考えたければ言いたいことがよく整理された論文なり本なり文章を読むしかないだろう。ただそうすると非常に学問的にその問題を取り上げざるをえなくなり現実の靖国問題解決とはほど遠いものとなる。


まあ僕は(学生だし)それで構わないと思う。靖国問題は今現在の政治家にその解決を委ねるしかないわけだし(遺族問題が絡むと政治だけじゃ解決しないと言えばしないのだが)、学生が云々言ってもたいして情勢は変わらないと思う。政治は国民の様々な意見の元に成り立っているのだから市民が政治にたいして常にいろいろ口を出さなきゃいけないのは当たり前なんだけど、せめて勉強だけしてれば良い身分の大学生(および学者etc.)だけでもこの問題を(現実の対極にあると言える)学問的にとらえるべきなのではないかな。


そうした姿勢が後々の国民の知的意識の底上げにつながるわけだし、今以上のインテリ層が国の中核を担うようになるんじゃないかな。それがいいかどうかはまた別の議論だけど。結局首相参拝に反対、賛成するのは職を持った(失礼な言い方だけど実際は靖国問題なんて深く構っている暇のない)社会人に任せるしかないだろう。
学問的にとらえようとすると靖国にたいして否定的になるのが今の主流だとは思うけどね。
学問に対して普通の大学生よりも真摯に取り組んでいる人が多いと思われる東大生に読売じゃなく、朝日に就職しようとする人が多いのもうなずける。



まーた今回もカッコを多用したし、自分の言いたいことがすっきりまとまらなかった。というかハナから言いたいことあったのか疑問だけど。
あー改めて文章書くのって難しいな・・。