世界のヨシザワ


今日で物理の実験の方を終えた。ボクのいる商学部ではいわゆる自然科学系の講義を6単位取らねばならない。心理学など実験を伴わない講義も一応あるのだがそれらは通年で4単位しか取得できないため、もう2単位ほど別の自然科学系の講義を受けるはめになる。



そうしたことから自ずとボクの選択肢は物理、化学、生物という実験を含む講義に絞られていた。いずれも高校で学んではいたのだが、ボクは科学そのものがあまり好きではないので選択に悩み、結局一番抵抗のないと思われた物理を選ぶことにした。



選択は間違っていなかった。いや、そこは大学の授業、おそらくどの講義を選んでも難なく単位はもらえたのだろう。そもそも文系にとって自然科学系の講義を受けること自体が想定の範囲外であり、少なからぬ”仕方がないから受けてやっている”という意識があるのだ。”単位を落とすとは何事だ”とは言わないまでも”普通に単位はもらえるはず”と考えて講義に参加しているのである。



ボクの受けた物理は何より環境が良かったのだ。第一に生徒数が圧倒的に少ない。教室の席が20〜30%しか埋まっていない。まず物理という教科が文系には圧倒的に人気がなくマイナーな教科であるということ、またリシュルート(学生用の講義攻略本)にはその講義の存在すら示されていなかったというのが大きい。第二に先生が良かった。吉澤先生という方なんだけど、もうそこそこの年のせいであろうか、とても温和な方で真面目に聞いていれば喜んでくれるのでこちらとしても(正直何を言っているのか内容がよくわからない部分が多いんだが)なんとか聞いてやろうという気持ちにさせられた。



一年間物理のさわりを学んできて、特に実験が面白かった。最初は何をやっているのかよくわからないんだけど、実験が一通り終わったあとに・・・も結局何をやってたのかよくわからないんだけど(笑、先生に聞けば丁寧に”今まで何をやってたのか”を一から教えてくれるのでそれを理解したときの感動がボクにはたまらなく好きだった。こんなことを確認するために実験をやっていたのか、と。



今日実験をやっている時に助手?の女の先生と趣味のこととか、たわいのない会話をした。ちょうど吉澤先生のことも話題に出てきて、その女の先生は吉澤先生についてこう語った。「吉澤先生はすごい人だったらしいの。若い頃はなんでも新たな理論を打ち立てたとかでその分野じゃ『世界の吉澤』と言われてるんだって。」


あの温和な先生が『世界の吉澤』?だったなんて・・・!!


(ボク)「吉澤先生の名前は何て言うんですか(難くて読めない)」

(女の先生)「・・・知らないわ



知らないのかよ!世界のヨシザワじゃないのかよ!



ボクは『世界の吉澤』?であるにもかかわらず、一度もそのことを話題に出さない吉澤先生が格好良いと思いました。2人の先生方には本当に一年間お世話になりました。必ず学んだことを将来につなげていきたいと思います。