『悪の読書術』(福田和也 講談社現代新書、2003)


個人的に福田和也氏は思想的な面で―というほど仰々しいものでもなければ、彼のすべてを理解しているわけではもちろんないが―あまり好意的なイメージがなかったけれど、この著書は現代日本に生きる人達に対する穏やかではあるが、急所を突いた提言がハッキリと示されていてとてもためになった。



この著書はそもそも、新書になるのが前提だったにせよ、女性誌に連載されていたものであったためか文体は非常に口語的で読みやすく、また女性読者を意識してか必要以上にへりくだった部分が数多く見られる。また「女性作家の読み方」、「男性作家の読み方」など一見単なる読書ガイドに見えなくもないがそんなところに彼の主張はない。この著書において彼が言いたいことはただひとつ、『社交的な読書』についてである。



『社交的な読書』において、本の内容は問わない。いや、全く問わないとすると誤解を招くかもしれないが少なくとも「こーゆー本を読んでます」と言った時のその周りの反応に主眼がおかれている。



福田氏曰く日本人は読んでいる本、というか好きな作家を紹介することに対してあまりにも無防備すぎるという。どうして服などのファッションに関しては周りの目を気にしておしゃれにせっせと勤しむのに、好きな作家に関しては周りの目を気にもとめようとしないのか、と。もちろん高尚で難解な本を読め、と言っているわけではない。世界の中心で何を叫んで叫んでいようと構わないのだがそういう本が大好きです、と公言することはそれが社会的にはどういう認識を受けるのかということを少しは自覚しましょうと言っているのである。


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こんな短い字数ではボクの力ではとても説明しきれないし(言ってることは至極明快なはずなんだけど)、誤解を受ける方々も少なからずいると思うのでまあ実際この本を読んでもらえるとボクとしても願ったりなんですが、つまり読む本の選択をもっと自覚的に行って『スノッブ*1な意味で自分を向上させ』ようということです。



ボクも福田さんの言っていることには概ね同意しているのでこれが彼の言葉なんだか自分の言葉なんだかよくわからなくなっていますが、福田さんの言っていることは実は非常に高圧的なものだから、彼はあんなにへりくだって書いているのでしょうね。言ってみればもっと文化人たれ、と言っているようなものですから。



ちなみにボクの本棚には小説に関しては安部公房が一番多く置いてあって(5冊)、うち2冊しか読んでません(笑)。また安部公房が一番多く置いてあるとは社会的にもどういう認識を受けるのか自分なりに自覚しているつもりではいますが、いかんせん半分以上読んでないんで・・。



*今日のブログを読み返すといつにも増してえらそーなんですが、ボクは福田さんの提言には共感できる部分がある、と言っているだけです。現実世界ではどうしようもないダメ人間なんでせめてブログの中だけでも少しだけ紳士気取らせてください。あー、福田さんの言っていることは実はそうとう高飛車なんだな、と。彼はそれに見合うだけ本を読んでいるから構わないんだけど、ボクなんかが書くとこうも言い訳をしておかないと全体としてバランスがとれないや。

*1:紳士気取りの人、俗物。ここでは「社交的な」の意味合い。