1級品の輝きを求めるというロマン


趣味―専門家としてでなく、楽しみとしてする事柄(広辞苑)。
趣味は何ですか、と聞かれたらプロ野球、と答えるだろう。
なぜと聞かれたらテレビでやっていたのがきっかけ、と答えるしかないと思う。
いつから、と聞かれたら小3くらいかな、と無難に答える。


世界はもっと広いのにその世界を見ようとせず球界ばかり見続ける。はたしてこれで良いのかな。野球が好きなのは自分の性にまさにぴったり合っていたからだし何も嫌いになろうというわけじゃない。ただ張れるアンテナが野球だけだと非常に狭すぎるなあ、とね。


少し前から蛸壺の学者になってはいけない*1、と信じるようになった。仮に経済について深く学びたければ絶対他の分野も学んでおくべきだと信じるようになった。なぜなら他の分野で軽くでも触れたことが必ず経済を学ぶうえでも生きてくるからだ。もしかしたら科学におけるパラダイムの転換の流れが経済理論の変遷にも共通して言えることがあるかもしれない。またその時代時代の価値観によって生まれた主流文学の変遷を辿ることで経済の今後の展望が開けてくるかもしれない。もちろんこれらはとっぴょうしのない例だけれどとにかく諸学問は自然発生的にせよ、人間が便宜上区切ったものであることには間違いないのだから、全く違った学問の中にもなにがしかの共通点を見出せないとは言い切れないのだ*2。何も見いだせなくても世界が広がるのにこしたことはないしね。


だけどつまらない本は最後まで読む必要がないように、無理をしてさまざまな分野を学ぶ必要はない。ストレスは人類の敵だ*3。ただアンテナを張れば自分から学んでみたいと思うようになることがある。ボクは靖国問題というある意味小さな問題から宗教と国家の関係全般に興味がわいた。


さまざまなアンテナを持つのが良いだろう、というのは趣味についても言えるんじゃないかしら。野球が好きなのだから結局は落ち着くところに落ち着くとは思うんだけれどやっぱり他の世界も知っておきたい。もしかしたら野球よりおもしろいものに出会えるかもしれないしね。んで最近リストにあがっているのが競馬、パチンコ、麻雀、宝くじとかなんかギャンブル性に富んだものばかりなんだけど(笑、なんでも挑戦してみようと思う。まずはロト6じゃ!

*1:枝葉末節、またはあるひとつのことにとらわれすぎてはいけない

*2:共通点を見出すことに何の意味があるの?とか言われそうだけど、もしそういった視点が全く新しいもので世の中の定説と化していったらもうそれだけでその考えは1級品の輝きを放つのさ

*3:人生を謳歌するにはいかに楽しく過ごせるか、というよりもいかにストレスをためないかを考えるべきなのだ