ヘキサゴンからトリビアまで


頭をどうひねっても、上下左右振り動かしてみても書きたいことが出てこない。先日伊豆旅行に行ったとき川端康成が10年もの間逗留していた旅館の部屋を見せてもらったけれど、そこからは何も生まれてこなかった。当たり前だ。川端康成についてはノーベル文学賞を取ったということ、『雪国』『伊豆の踊子』という代表作があること、ガス自殺を遂げたことくらいしか知らず、いずれの作品も読んだことがないからだ。そのような瑣末な知識をいくら蓄えたところで実際その作品に触れて何かを感じなければ頭の中で何かがキラめくこともなければ何かに結びつくこともほとんどない。



でも世の中ではそうした瑣末な知識がもてはやされる。クイズ番組では実を伴わない薄っぺらな知識が豊富な人が博学とされる。クイズ番組と言ってもいろいろな番組がある。「タイムショック」「ミリオネア」「アタック25」「高校生クイズ」「ヘキサゴン」などなど。その中でも「ヘキサゴン」は不快に感じる時がある。どうも出演者をバカにするだけの番組のような気がする。「行列のできる法律相談所」然り島田紳助が司会の番組はその毒舌っぷりから人をいじくることで笑いをとる番組が多い。しかしそこに不快は感じない。それは彼のスタイルだから。



ただ「ヘキサゴン」の場合、なかば常識的な問題に対して答えられない出演者を紳助がバカにするときに、見ている方も一緒になって心のどこかでその出演者をバカにしてしまいがちだ。その時番組のプロデューサーの意図が透けて見えた気がしてやや不快になる。あの番組は出演者をバカにすることで視聴者を優越感に浸らせるだけの番組なのではないか。その番組の意図を最大限活かすには紳助の毒舌っぷりが欠かせないわけだ。



世の中にはこうした自称知識人、常識人を満足させる仕掛けがたくさんある。ものにできた、しっかりと自分の礎となっている知識ならともかく表面的な瑣末な知識をたくさん知っていたからといって何ひとつ偉くないことくらい誰でもわかっているが、どこか優越に浸れるので人は貪欲に知識を吸収しようとしていく(もちろんボクも)。



こうした世の風潮、というか人間の性質をどこか嘲笑したような、瑣末であることを前面に押し出した素直な番組が「トリビアの泉」である。あの番組はどうでもいい知識をコミカルに披露するところが人気だが、その人気にはこうした背景もあると思われる。ボクもあの番組は大好きだ。最近はトリビアの種が増えてコミカルに重点がいくようになりつつあるけどそれはそれでまた面白い。